韓国籍の女性看護婦の、昇格試験拒否裁判に対する判決について、ニューヨークタイムズより。
Japan Court Rules on Job Promotion Case 看護婦として東京都で雇われていた韓国人のチョンさんが、外国人であるという理由で昇格試験の受験を禁じられたことに対し、訴訟を起こしたというもの。 最高裁は、東京高裁の違憲判決を覆し、チョンさんの訴えを棄却した。 韓国の父と日本人の母の間に生まれたチョンさん。現在およそ20万人の韓国人が日本に暮らしている。その多くは、朝鮮半島が日本の占領下にあった時代に、両親や祖父母が強制的に連行され、その2世、3世となった人々である。 彼らは長い間ステレオタイプと戦って、仕事と雇用における差別に直面してきたのである。 という内容です。 日本の記事は、 <都国籍条項訴訟>管理職受験拒否は合憲 最高裁が逆転判決 (毎日新聞) このような現実を知るたび、残念な気持ちで一杯になります。日本が勝手に連れて来て、日本人になることを強制し、韓国人であるというアイデンティティを奪おうとしたのにも関わらず、戦争が終わった途端に今度は外国人扱いをする。そのような歴史すら抹殺して知らないふりを決め込み、反省どころかなかった事のようにし、日本の社会から排除しようとしている。 在日韓国・朝鮮人について考える上で、その知識と共に重要なことは何でしょうか? 私は「謝ること」「反省すること」の教育だと思っています。人の気持ちになって考えること、共感共苦の精神が、日本人は圧倒的に足りない。 小学生のクラスで植民地支配の話をしても、大学生の講義で在日問題を取り上げても、大多数が「かわいそうだと思う」「日本人は間違ったことをしたと思う」と同じ様な意見を言う者が多いのです。多数の者が反省したふり、相手の身になったふりをする。周りの人と同じように、ありきたりの意見を答える。そういうことが自然に身についている人間が、日本人にはとても多いと強く感じます。 それは、「反省」を教えられていないから。そのような過去の間違いを認め、今後の共生について考える機会を与えられていないからだと思います。 そのような教育の中では、「謝ること」は決して学べません。なぜなら「謝ること」は、最も自主的な行為でなければならないからです。「謝罪」は相手のことを考えてするものではない。自分の心が相手を思い、自分の間違いを認めて、自分の心のために成すべき行為なのです。相手のことを考え、「謝罪したほうがよさそう」だから謝るのではありません。自分が犯した過ちに我慢ならず、相手に自分の心をさらけ出してしまう行為が、真の「謝罪」ではないでしょうか。 そんな気持ちで、私達はこれまで謝ったことがあるでしょうか?そのことがわからないから、日本人はいつまで経っても、在日韓国・朝鮮人、植民地支配の被害者の人々に謝ることができない。これからの教育の中で最もなおざりにしてはならないことは、このことであると私は思います。 きちんと謝罪できないこと。これが無気力で、中身のない多くの日本人を生み出しているのではないでしょうか。 鍋倉 衣久美
by j_news
| 2005-01-27 04:52
| 社会
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